朝7時45分頃。
お部屋の電話のベルが鳴りました。
旅館のスタッフさんからでした。
『おはようございます。朝食のご用意ができております』
やらかしました。寝坊です。
今日は遠出をするのでちょっと早めの朝ご飯にしようと昨日チェックインの時に予約していたのに、寝坊です。
なんという駄目人間っぷり!!!!!!!!
慌てて飛び起きて、3分で身支度して朝食会場へ向かいました。
申し訳なさいっぱいで、ぺこぺこ謝りながら席に着いたのですが、スタッフさん優しすぎて泣きそうになりました。本当に申し訳ない……
朝ご飯は色んなおかずとたっぷりのご飯とお味噌汁でした。
どうでもいいけど、旅館の朝ご飯に出てくるお漬物系のおかずって塩味が身体に染みるというか……なんか普段より美味しく感じて好きです。
ご飯の後はロビーでお庭を見ながら、目覚ましのコーヒーもいただけます。なんて優雅。
さて、この日は日光に遠足に行きました。
小学校の修学旅行が日光・鬼怒川界隈だったのですが、それ以降全く行った事が無かったんです。平成31年3月末までは平成の大修理が行われていたようなので、行くタイミングとしてはなかなか良かった気がします。
そんなわけで、切符を買って電車に乗り……
(赤べこカラーが可愛いAIZUエクスプレスちゃん)
新藤原で乗り換えて、You Tubeでライブ映像を見たり、うとうとしている内に東武日光に到着。
山小屋風の何というかレトロな駅舎です。
駅前にはレンタサイクルも完備。
ここからてくてく20分ほど歩いて……
神橋という場所に着きました。お邪魔した時はほぼノープランだったし、調べる気力もなかったので「え、日光って東照宮以外にもあるの!?」というのが本音です。無知が過ぎる。
色々調べてみると、奈良時代末期、日光を開山した勝道上人が日光山へ入る時に大谷川の急流に難儀して神仏に加護を求めたら、放たれた2匹の蛇の背中から山菅が生えて橋となった……という伝説があるらしいです。現在の橋は明治時代のもののご様子。
いずれにしても、大きな朱塗りの橋です。
なんというか、近くにコンクリ製の橋があるので、そこから見たらめちゃくちゃ映える色味です。緑の山に橋の赤が綺麗。
橋は渡れる(ただし、反対側まで行ったら戻ってくるようになってる)ので、チケットを買って渡ってみました。
うん。大きい。
橋には橋姫明神が祀られているらしく、お賽銭箱や小さな祠みたいなものがありました。あと、縁結びのパワースポットらしくて、結婚式後らしきカップルが写真を撮っていらっしゃいました。よい物を見た。
神橋から戻ってきたら、参道らしき石段を登って、いよいよ東照宮へ向かいます。
山の方に来ているので結構涼しいのですが、まだ午前中だし良い天気の日だったので、歩いてるうちにぽかぽかしてくる。
ん?
ここでまた、東照宮ではないお寺らしきものを発見。
こちらが、勝道上人が開いたとされる日光山輪王寺でした。
この方が勝道上人。山を開くだけあって、凛々しいお顔をしておいでです。
もうこの時は本当に先日からの謎の疲れの爆発と、夜な夜な見ていたライブの興奮と、「日光=東照宮」という雑すぎる知識のみに占められていたので、罰当たりにもこちらはスルーいたしました。調べてみたら歴史が分かって楽しかっただろうにね……
さてはともかく、そのままてくてくときれいに整備された参道を歩いて……
いかにも日光東照宮の門前的なエリアに到着。
この辺りで人がめちゃくちゃ多い事に気付きました。
確かにこれから紅葉シーズンなのもあって、日光は一番きれいな時期ですものね。
ただ、思った以上の人出でびっくりしました。やっぱりみんな旅行行きたかったんだな! 私もだよ!
思ったよりサクサク進むチケット売り場でチケットを購入し、いざ中へ。
入ってすぐ、左方向に曲がって……
すぐ左側、神厩舎の上に三猿。
え? こんな初手でこんな大物出しちゃっていいの? って思うぐらいの大盤振る舞いにびっくりしました。全く記憶になかった。
ロックバンドのライブで言ったら、オープニングと同時にテンション爆上げの有名曲演られて、その後の構成の事なんて考えられないぐらいに飛び跳ねちゃうような最初っからクライマックス感。
案の定、皆様すごい勢いで写真撮ってましたし、私も撮りましたが、ふと後ろを振り返ると……
ぞうさん(*´ω`*)
本物の象を我らのご先祖様が見て大ブームを巻き起こしたのは、江戸時代半ば、8代将軍吉宗公の時だそうなので、この象さんは想像上の生物の方の象さんのようです。
ところでこの時点で立体感が凄いなぁ……と思いながら見ていたのですが、更にこの後、日光東照宮を造った家光公の本気を思い知ることとなりました。
石段上がってすぐに陽明門。
日光東照宮のHPによると『いつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」ともよばれ、故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500以上の彫刻がほどこされています。』ってあるんですけど、本当に見てて飽きない。
……というか、技術の高さがヤバい。
ぱっと見で華やかさに圧倒されますが、この彫刻の大半は創建当時のままだそうです。
彫刻だというからには、彫ってるわけですよ。木を。
なんだったら後で宝物館行った時にしれっと隅の方に彫刻技法のご案内書いてあったんですが、漆でラインを引いてうんぬんかんぬん……的な事が書いてあったのですが、理解が追い付かずに脳味噌ショートしました。
なに、このえげつない立体感とデザイン性。
当時の最高峰の技術を持った人達がどう考えても年単位で作ったとしか思えない。助走つけて殴ってくる大量の『美』の圧が凄い。
そして、これだけじゃないんですよ。
国宝 唐門。
勿論、経年劣化があるので補修されてますが、見よ、この驚きの白さ。
こちらも東照宮のHPによると『全体が胡粉(ごふん)で白く塗られ、(途中略)細かい彫刻がほどこされています。』とあります。最近胡粉ネイルとかありますよね。あの胡粉です。
日が高い時間に来たこともあり、お日様に照らされて輝く唐門は、なんかよくわからないけどめちゃくちゃ眩しくてありがたかったです。
東照宮トークと写真だけで凄い分量の記事になりそうなのでここでいったん切りますが、最後にどうしても気になることが一つ。
分からないことがあったら俺に聞けでお馴染みのWikipedia大先生から抜粋すると、そもそも東照宮って家康公の遺言が元なんだそうで。
『遺体は久能山に納め、(中略)一周忌が過ぎたならば、日光山に小さな堂を建てて勧請し、神として祀ること。そして、八州の鎮守となろう。』
全然小さくないじゃん!!!!! 家光公ってば、確実にじーちゃん祀るのに幕府の本気出してるじゃん!!!!!!! って、全力でつっこみたいです。