【注意】
今回の日記は、東日本大震災の遺構の写真がメインとなります。
1月に北陸で大地震があっただけでなく、過去の震災の記憶で心がしんどくなる方がいらっしゃるかと思いますので、事前にワンクッション挟ませていただきました。
見るのはしんどいという方は、スルーして頂ければと存じます。
また、1月の震災の被害を受けられた方へは心からのお悔み申し上げるとともに、被災された皆様ならびにそのご家族、関係者の皆様に対してお見舞い申し上げます。
被災地の一刻も早い復旧をお祈りいたします。
がんばろう、北陸。
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8時起床。朝食付きのプランだったので、しっかり朝食もいただきました。お野菜も多めに取れるメニューで嬉しい。
ホテルをチェックアウトしてからは、駅前まで戻り、タクシーに乗って門脇小学校震災遺構へ。
もう13年前になるんですね。私自身は3.11のあの日は仕事で都内の職場にいて、帰宅難民らしきものになって6時間ぐらいかけて自宅まで歩いたのを覚えています。あの時Twitter(現X)やメールで次々と友人達から送られてきたメッセージや、移動中に心細くなってずっと大音量で流していた大好きな音楽とかは一生忘れられない。あと、帰宅してからリビングでぶっ倒れて、でも寝れなくてなんとなしに見たテレビの信じられない映像とか。
まぁ、そういう私のセンチメンタルな記憶なんてどうでもよくて、時は経っているとは言え現実にあった光景を改めて見て、正直圧倒されました。
屋上まで来たのだという大津波。
特に石巻は被害が大きな街だったので、ニュースで繰り返し見ていたのもあったのですが、実際の遺構を見て、なんというか、打ちのめされました。
町中にも、当時の震災を風化させないものは見かけていたんです。これは、駅からホテルに移動する間に見かけたパネル。津波の高さは低いように思えますが、海側に小高い丘が有るからこの高さなだけ。少し町中を歩いている内にそれに気づき、肝が冷えました。
震災から復興まで、どれだけの苦労も心のしんどさもあったのかと考えると、頭の中が真っ白になるし、苦しい気持ちになるのですが、それでも残しておくことにした地元の方の英断に私は感謝したいです。
震災後の仮設住宅での生活も、垣間見る事ができました。
どうもこういう時に上手に言葉がでてきませんが、遺構を見て思ったのは、自分が同じ状況になった時に、身内を守れるために今準備できることは何か……でした。あと、個人的にゆかりが有る石川のこととか(祖母が住んでいた場所でした)。
月並みな言葉しかでてきませんが、できることをしようと思います。
その後、陽射しと海風を浴びながら遺構から駅に向かってゆるゆると散歩をして……
川の向こうに石ノ森萬画館が見える。
駅前に戻ってきました。どうでもいいのだけど、イオンと市役所が同じ建物に入ってるの、普通に便利でいいなって思ってしまった。
お昼前に石巻をでて、仙台へ戻りました。
今日はこの後、秋保温泉へ向かいます。